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atsukohoshi

ブラジル移民者である・・母の教育

更新日:2023年6月26日



2月23日は亡き母の命日です。


もう13年も前の出来事ですが、私の目の前で突然亡くなってしまい・・・・。最後に交わした言葉は、今でも大切に心の中にしまっています。


母が41歳の時、私が生まれました。あの当時は、高齢中の高齢出産でした。今思うと、本当に産んで頂いて感謝しかありません😭。 私も3人の子供を出産しましたが、出産は今でも命がけのことです。


3人兄弟の末っ子である私は、母親が女の子と知ったとき、どこから聞いたのか分かりませんが、お腹に入っているとき「美人に生まれますように」と、毎日トイレをお掃除していたそうです😅。期待に添えなくてごめんなさい😞


日本から移民された多くの方々は教育熱心であり、とにかく「勉強をして、立派な人になりなさい!」という考えでした。親は苦労をしても、我慢をしてでも子供たちには立派な教育を! その結果、今もブラジルに住む日本人は、多くのブラジル人に尊敬されます。「賢い」・「真面目」・「物静か」・「信頼」が日本人のキーワードです。


私も両親のお陰で、様々な教育を受けることができました。習い事は好きなことをしなさいと言われており、親から押し付けられることはなかったのですが、英語だけはうるさかったです。中学から高校までの4年間、週2回英会話教室に通っていました。そのおかげてアメリカでは不自由なく生活することができました。また、勉強は財産と言っていて、英会話のほか、公文、塾、作文や数学の家庭教師などなど、本当に感謝しかありません。


日本語の読み書きを教えてくれたのは母親でした。母親との会話も日本語でしたが、母親は子供とのコミュニケーションをとても大切にしており、子供たちが考えていること、悩んでいることなどをくみ取ってくれていました。子供たちに、「あれしなさい、これしなさい」とは言わずに、自分がやりたい事をしなさいと。子供たちを否定するような発言もなかったので、悩み事については、真っ先に母親に相談していました。どんな些細な悩み事でも、「そんなことで悩むなんて・・・・」といった態度は一切ありませんでした。自分が子供を持つに身になっても、この母親の姿勢を常にお手本として、子供たちに接するようにしています。母親のように上手く出来ているかはわかりませんが・・・・・。


ただ一つだけ、これだけは聞きなさいと言われていたのは、「女性も仕事を持ち、社会に貢献し、皆さまのお役に立てる人になりなさい!」ということでした。ブラジルで歯科医だった私ですが、日本ではブラジルへ赴任される方々をサポートする仕事についています。引き続き、皆さまのお役に立てるよう、一生懸命取り組まねば、という気持ちが強まります。


戦前、そして戦後の貧しい日本から、夢と希望、そして勇気に満ち溢れた若者たちが、2、3ヶ月の船旅を経て、辿り着いた遠いブラジルの地。多くの方にとって、言葉、文化、習慣が全く異なる地で、頼れる人もおらず、相当な苦労をされたと伺いました。今思うとその勇気に涙が出ますが、裸一貫で異国の地で生きていく上で、教育だけが自分の子供たちを守ってくれるという思いがあったのでしょう。本当に頭が下がります。

サントス日本移民上陸記念碑


母親は日本で看護師でした。都内の大きな病院に勤めていて、外科の看護婦長でもありました。元々医者になりたかったようで、地元の高校で大学推薦まで得ていたのですが、時代は戦後の厳しい時期。経済的な理由もあり、親に反対されてしまったようです。

ブラジルでは看護の仕事をしていませんでした。ポルトガル語も話せなかったので、ちょっと難しかったと思います。

母親が話せたのは「コロニア語」・・・・・😅。「コロニア語」とは、ポルトガル語と日本語が混ざり合った言葉で、例えば「aguaちょうだい」(水ちょうだい)・「cafe美味しい」(コーヒー美味しい)などなど


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でも、使い方を間違えると、とっても恥ずかしい思いをするので、冷や冷やしながら聞いてました。母親はよく「センタここ」(センタはポルトガル語で、「座って」という意味)と言っていて、意味としては、「ここに座って」なのですが、実は「ココ」という発音は、ポルトガル語では「うんち・大便」という意味。なので、ブラジル人が聞くと「うんちに座って」になります😅


母親がこんな感じだったので、私は小さい頃から母親の秘書役でした😅。母親は私に「小切手書けないから、書いて」・「電話出て」・「銀行の手続きして」・「〇〇作るのが上手だから作って」・「〇〇友達に電話して」・などなど

でも、大好きな母の役に立てている、という気持ちが、小さかった私を幸せな気持ちにしてくれていました。今思えば、私が社会に出て苦労しないように、早い段階から社会生活に必要な知識を持たせようとしていたのかもしれません。


本当に苦労された日系移民たち。母親の命日が近づく中で、その方々の想いを胸に、そしてこれまでの教育に感謝し、引き続き皆様のお役に立てるよう、しっかり仕事に取り組まねば、という思いを強くした2023年2月です。


 


 

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